私は一介の臨床医である。この度博士号取得のために大学院に入学して研究を行うことにした。
先日ついに私の研究テーマが決定した。あまり総研究人口が多くない分野で、比較的結果を出しやすいようだ。大変ありがたい。研究テーマが決定したところで、現在その研究を行っている先人に研究風景を見せていただいた。
今日はよろしくお願いします。
「よし行こうか。」
どうやら私の研究では実験動物としてラットを使用するようだ。先人は非常に慣れた手付きでラットの実験を行い、ポイントも丁寧に解説してくれた。当初2時間程度の予定であったのが、結局5時間かかってしまった。クセのある人かと思ったが、いい人である。
その内容であるが、こんなこと自分にできるんか、というくらい高度な実験手技が要求される。実験しながら繰り出される先人の知識は、非常に広く、深い。
私は外科医であり、究極的には手術が上手にできるようになることが目標である。しかし駆け出しからこれまである程度手術経験が増えると、まだまだ自分の中で試したい方法、伸び代はありはするものの、なんとなく自分の中の到達すべきレベルはおそらく後5年、長くても10年あれば達成可能と考えている。そうなってくると自分の周りの外科医を見ていて、手術以外の部分で優れた医者が輝いて見えるようになる。私の中で特に輝いて見えたのが、基礎分野/研究分野の理解、論文作成/指導のレベルアップ、すなわち学術的な側面である。
私も英語での論文はすでに何本か掲載させていただいた。case reportであれば特に指導がなくても今後も投稿し続けられる自信はある。しかしもちろん若手医師として、これまでに論文ならびに学会発表の指導を受けてきたが、指導医によって指導の方法や指導の程度が全く異なることに気づいた。多くは非常に勉強になることであったが、中には、何言うてんねん、とか、それだけ?、とか思うような指導もあった。それだけ指導医と言っても学術的なところには差がつきがちであることがわかった(もちろんどこまで指導するか、と言うポリシーは各々にあるのだろうが)。おそらく自分の人生の中で、医師主導治験なり国際共同臨床研究なりを主だって行うようなことはなさそうだが、少なくとも後輩、同僚に、あの先生は手術だけだな、と思われるような医者にはなりたくない。カンファレンスでのスライドの予行演習で誤字脱字しか指摘できない、抄読会で特に発言できない、そんなような医者にはなりたくないのである。
そういった部分を、まだ指導が受けられる学年で学ぶため、私は大学院に進学するのである。その意味で、先の先人は非常に魅力的である。あの実験手技をこなすので、おそらく手術はうまいに違いない。さらに学術的側面、統計手法にも造詣が深い。私があの領域に達するには、やはり数年の修行が必要だろう。しかし不可能ではない。
私が行う研究分野は非常に総研究人口が少なく、発展の余地は大きい。また比較的臨床に近い分野であるので、得られるものが大きい。
「私の手技がこの域に到達するまで、やっぱり手技が原因で失敗した、あるいは手技は成功してもデータとして使用できるレベルではない、なんてことがたくさんあった。」
先人の言葉である。それはそうだろう。この実験は手先の器用さに加えて時間の制約が大きい。手技ができても時間がかかればアウト。データとしては使えない。
非常にシビアな分野だが、是非世の中に貢献できるデータの一部となりうるように、この先私が失敗して命を落としてしまうラットたちが報われるように、そして何より大学院卒業後の私が、今の私が望むものを手にしているように、私はこれから4年間、研究に励むことにする。
このブログは、私の4年間の研究を記す、記録である。

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